今日は私の55歳の誕生日。
50代も折り返し地点、あと5年で還暦かと思うと、正直なかったことにしたいぐらいである。
しかし今日はこのブログの10歳の誕生日でもある。
2014年9月9日、インターネットの片隅で「World end~セミリタイアな日々~」は産声をあげたのだ。
なので今日は更新日じゃないけど更新しちゃいます。
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10年前の今日を思い返すと、まだブログに書いていない話があったことに気づいた。
今日はそれをもって10周年記念記事としたい。
10年前、私はある地方の支店勤務で、会社を辞める意思を固めていた。
夏には終の住処となるマンションを購入していたし、9月5日には退社の申し出をしているはずだった。
父危篤により帰郷したせいでそれは先延ばしになったが、1週間後の12日には上司に伝えて退社が決まった。
この間に45歳の誕生日を迎えたのだが、ちょうどその日会社では支店の社員数百人が集まる大きな会議が行われていた。
私も運営側のスタッフとして参加しており、朝からとても忙しく動き回っていた。
その会議に本社の部長が出席したのだが、これが私にとって天敵ともいえるク〇上司だったのだ。
23年間の会社人生でもっとも働かされ、体も心も壊れかけたのは30代になったばかりのころ。
1週間の時間外勤務が212時間という殺人レベルの職場だ。
その支店のトップがこの〇ソ上司だった。
そんなク〇上司とおよそ10年ぶりに顔を合わせたのが10年前の今日。
屈折した思いを抱えているのは被害者だけで、加害者側はそんなこと何も覚えていないに違いない。
心中はともかく、「お久しぶりです」とあいさつをした私。
向こうも、「そうかここにいたのか」と愛好を崩してくる。
積もる話もないのでその場はそれで終わり、その後言葉を交わすこともなかった。
10年前にあんなひどいことをされていながら、それをおくびにも出さなかった理由はふたつ。
ひとつは、セミリタイアを決めていたから。
会社とは縁を切るつもりでいたので、昔の〇ソ上司のことなんかどうでもよかったのだ。
「会社辞めるんですよ、あんたのせいで」と長年のうっぷんをぶつけるシミュレーションも脳内をめぐったけど、まあ実際にやるわけない。
妄想は妄想におしとどめる大人の対応だ。
えらいなー、私。
もうひとつは、この上司も不遇な目に遭っているみたいだったから。
支店の会議に出向するぐらいだからそれなりのポストにはいるわけだが、私の上司だったころはあの年次のトップランナーのひとりだった。
有力な役員にかわいがられて、ボード入り間違いなしと噂されていたのだ。
でも世の中うまくいかないというか、ある意味うまくできているというか、期待されたほど出世しなかったのである。
求められる業績を挙げられなかったのが原因と推測されるが、あの男を慕う部下もいないだろうし、当然と言えば当然の結果。
かわいそうとは思わないけど、恨みをぶつける価値もなくなっていたというわけ。
嫌いな相手にも同情する大人の対応だ。
えらいなー、私。(2回目)
そんなことがあって忙しい一日を終え、くたくたで帰宅して書き上げたのが、
「セミリタイアに向かって走れ!」
なのだ。(※実際にアップしたのは9月14日)
10年ひと昔というけど、案外忘れないものね。
45歳だった私もすっかり歳を取ってついに55歳。
体もあちこちガタがきていて、今も実は心配の種を抱えている。
この壁をなんとか乗り越えて、そのうちブログのネタにできたらいいなあ。
10年前の記憶と共に、ちょっとほろ苦い55周年になったのでした。
おーしまい。
50代も折り返し地点、あと5年で還暦かと思うと、正直なかったことにしたいぐらいである。
しかし今日はこのブログの10歳の誕生日でもある。
2014年9月9日、インターネットの片隅で「World end~セミリタイアな日々~」は産声をあげたのだ。
なので今日は更新日じゃないけど更新しちゃいます。
10年前の今日を思い返すと、まだブログに書いていない話があったことに気づいた。
今日はそれをもって10周年記念記事としたい。
10年前、私はある地方の支店勤務で、会社を辞める意思を固めていた。
夏には終の住処となるマンションを購入していたし、9月5日には退社の申し出をしているはずだった。
父危篤により帰郷したせいでそれは先延ばしになったが、1週間後の12日には上司に伝えて退社が決まった。
この間に45歳の誕生日を迎えたのだが、ちょうどその日会社では支店の社員数百人が集まる大きな会議が行われていた。
私も運営側のスタッフとして参加しており、朝からとても忙しく動き回っていた。
その会議に本社の部長が出席したのだが、これが私にとって天敵ともいえるク〇上司だったのだ。
23年間の会社人生でもっとも働かされ、体も心も壊れかけたのは30代になったばかりのころ。
1週間の時間外勤務が212時間という殺人レベルの職場だ。
その支店のトップがこの〇ソ上司だった。
私の会社人生がつまづいたのもこのときで、そういう意味でもこの男は恨み骨髄に徹するプライベートエネミーナンバー1。
どう悪辣だったかを書くとムカムカするので省略するが、彼の下から離れる辞令が出たときは心底ほっとしたっけ。そんなク〇上司とおよそ10年ぶりに顔を合わせたのが10年前の今日。
屈折した思いを抱えているのは被害者だけで、加害者側はそんなこと何も覚えていないに違いない。
心中はともかく、「お久しぶりです」とあいさつをした私。
向こうも、「そうかここにいたのか」と愛好を崩してくる。
積もる話もないのでその場はそれで終わり、その後言葉を交わすこともなかった。
10年前にあんなひどいことをされていながら、それをおくびにも出さなかった理由はふたつ。
ひとつは、セミリタイアを決めていたから。
会社とは縁を切るつもりでいたので、昔の〇ソ上司のことなんかどうでもよかったのだ。
「会社辞めるんですよ、あんたのせいで」と長年のうっぷんをぶつけるシミュレーションも脳内をめぐったけど、まあ実際にやるわけない。
妄想は妄想におしとどめる大人の対応だ。
えらいなー、私。
もうひとつは、この上司も不遇な目に遭っているみたいだったから。
支店の会議に出向するぐらいだからそれなりのポストにはいるわけだが、私の上司だったころはあの年次のトップランナーのひとりだった。
有力な役員にかわいがられて、ボード入り間違いなしと噂されていたのだ。
でも世の中うまくいかないというか、ある意味うまくできているというか、期待されたほど出世しなかったのである。
求められる業績を挙げられなかったのが原因と推測されるが、あの男を慕う部下もいないだろうし、当然と言えば当然の結果。
かわいそうとは思わないけど、恨みをぶつける価値もなくなっていたというわけ。
嫌いな相手にも同情する大人の対応だ。
えらいなー、私。(2回目)
そんなことがあって忙しい一日を終え、くたくたで帰宅して書き上げたのが、
「セミリタイアに向かって走れ!」
なのだ。(※実際にアップしたのは9月14日)
10年ひと昔というけど、案外忘れないものね。
45歳だった私もすっかり歳を取ってついに55歳。
体もあちこちガタがきていて、今も実は心配の種を抱えている。
この壁をなんとか乗り越えて、そのうちブログのネタにできたらいいなあ。
10年前の記憶と共に、ちょっとほろ苦い55周年になったのでした。
おーしまい。
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たぶんTao様はかなりの大企業に お勤めされてた感じでございましたので セミリタイアの資金も貯められて とても良いでございました 病院でも 職種によりかなり賃金が安くて同情してしまいます方たちもおられるのでございます
そこそこでございますが ご健康な体に生まれられて しかもたぶんでございますが かなりの良い大学を出られて 大きな会社に勤められて と言うのは
親ガチャ 本人ガチャ もあるのでございましようから とても良かったでございました 昔話した方で 家が貧しくて大学に行けず 4年働いてお金を貯めて慶応大に行った方がおりましたでございました 経団連に入りたかったそうでございましたが 4浪であり 前例がないのでど 面接官も残念ながらと言ったそうでございました しょうもない話しでございました また ブログにて読ませてくださいませ いつも ブログにて読ませていただきまして たいへんありがとうございます