「悔いのない人生をおくりたい」というのは、人間だれしも願うこと。

先日このテーマに関する記事を読んだので、今日はそれでひとつ書くことにしたい。



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2022090301


和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人、満足して死んでいける人」を分ける意外な要素
死に至るまでには、2つの道があります。
1つは、幸せな道です。最期に「いい人生だった。ありがとう」と満足しながら死んでいける道です。もう1つは、不満足な道です。「ああ、あのときにこうすればよかった」とか「なんでこんなことに」と後悔しながら死んでいく道です。
(プレジデントオンライン 2022/9/1)

こう書かれると、誰だって前者を選びたいに決まっている。

自分の人生に失望して死んでいくなんてゾッとするし、そうならないために私はセミリタイアしたと言ってもいいくらい。

このブログでも、後悔死問題でこんな記事を書いてきた。

こんなに書くなんて、どんだけ後悔したくないのよ。

自分でつっこみたくなるくらい、そういう死に方はイヤなのね。



ただ一方で、「死ぬときってそれどころじゃなくね?」とも思ったりして。

死因が事故や災害だったら、そんなこと考えている余裕はないだろう。

病気や老衰だったとしても、死ぬ瞬間は意識がもうないか朦朧としているかで、自分が死ぬことすら認識できないんじゃないかな。

そんなときに「あのときこうすればよかった」なんてしみじみ振り返るヒマなんてないでしょうよ。

「人生が走馬灯のようによみがえる」なんてよく聞くけど、それ経験した人いるの?

いたとしてもその人はもう死んでいるわけで、誰からその話を聞いたのか不思議だ。

「後悔しながら死ぬ人」なんて本当にいるのかしら。


生と死のはざまをさまようセミゴースト状態でかろうじて認識できるとしたら、自分を看取る人の存在だろう。

子どもや孫に囲まれて「おじいちゃーん」と泣かれた日には、「こんなにすばらしい家族に囲まれて幸せな人生だった」というあったかい気持ちで死ねるかもしれない。

逆に誰も見送ってくれる人がいなければ、「私の人生暗かった…ぐす」と涙のあとをひとすじ残すかもしれない。

そう考えるとやっぱり結婚はした方がいいし、離婚はしない方がいい。

子どもはたくさん産み育てた方がいいし、親戚づきあいも大事にした方がいい。

今の私はどう転んでも後者の道まっしぐらなので、孤独に死んでいく可能性はきわめて高い。

ホント、さびしい死に方ですよ。

自分で選んだ道だから、そんなラストも甘んじて引き受ける覚悟ですが。



死んだらすべて終了だと思っているので、幸せだろうと後悔していようと実はあまり重要じゃない。

そんな思いも死んだ瞬間にぷっつり切れてなくなるから。

問題は、死ぬ前から「いつ死んでもいいや」と思えるだけの楽しい人生を送っていたかどうかだ。

そういう意味では、死ぬ間際まで何も考えずに仕事一筋という人生も決して悪くない。

だってそういう人は、死ぬときだって仕事のことしか頭にないはずだもの。

「仕事いっぱいしたぞ!」と満足して死ねるんじゃないかな。


私は「好きなこといっぱいしたぞ!」と満足して死にたいので、45歳で「セミリタイアな日々」に突入した。

観たい映画も読みたい本もいっぱいあるから、今死ぬのはまだ早い。

そうだなあ、あと10年か15年ぐらいこの生活を続けられれば、次の思考ステージに行けるかなー。

つまり、「いつ死んでもいいや」という境地ね。

65歳で定年を迎える同世代よりも20年は多く下駄をはかせてもらっているので、そのくらいの歳に死んだとしても、さほど後悔しないで済むんじゃないかしら。

そして死ぬ瞬間は孤独というね。

仕方ない。それもまた人生さ。


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