昨年8月、「『ヒロシのソロキャンプ』とセミリタイアの共通点」という記事を書いた。
今日の記事は、ヒロシネタの第2弾。
今回もなまら共感しちゃった部分があるので紹介してみたい。
【スポンサード リンク】
前回のネタ元は東洋経済だったが、今回は中央公論。
「一人で老い、一人で死ぬ社会」というのが最新号の特集で、そこに「僕が結婚しない理由」というテーマで、ヒロシが持論を展開しているのだ。
中央公論は無料でネット公開されていないので、Yahoo!ニュースに転載されたものを読んだ。
人より声が大きくて、「オレがオレが」で生きてきた人にはわからない話だろう。
自我を貫いて人生を謳歌してきた人の陰には、ヒロシのように従うばかりの人が山ほどいるのよ。
私もそのひとりだったかも。
そのまま一生を終える人もいる一方、ヒロシは「極力ひとりで生きる」という道を選択した。
その気持ち、痛いほどよくわかります。
私が7年前にセミリタイアしたのも、これが理由と言っていい。
そう、ほしいのは決定権なのよ。
他人に左右されずに、自分の人生を自分でコントロールできる力なのよ。
4年前の「定年後は誰も名前を呼んでくれない…っていいじゃん別に」という記事で、私はこんなことを書いた。
「中古のマニュアル車」というのはものの例えだけど、われながらうまいこと言うわ。
ま、ひとことで言えば決定権だし、自由と言い換えることもできる。
そういうのって会社生活では相当しばられるわけで、私はそれを我慢できなかったのね。
すみません、耐え性がなくて。
ヒロシのYahoo!記事に集まったコメントは、今日現在で驚きの1200件超え。
しかも、ヒロシの話を支持しているものばかりだ。
あれ? 日本ってそんな国だったっけ?
子どもの頃には友だち100人作って、大人になれば就職して結婚して子供を育てるのが当たり前。
それ以外の道を選ぶと、疑問や批判の矛先になるのがこの社会だと認識していたのに。
生涯未婚率が上昇し、多様性が重視されるようになって、私のような半端者にもやっと市民権が与えられるようになった、ということかしら。
こうなると私はあまのじゃくなので、「いやいや日陰の身でいいんですけど」と自虐に走りたくなっちゃう。
別に共感も賛同もいらないのよ、自分が満足していれば。
経済的な意味で健全な社会を作っているのは、働いている大人たちと、その背中を見て育つ子どもたちだし。
これ、ホントよ。
セミリタイアとかFIREなんか、後ろ指さされる覚悟でやるものなのよ。
今日の記事は、ヒロシネタの第2弾。
今回もなまら共感しちゃった部分があるので紹介してみたい。
前回のネタ元は東洋経済だったが、今回は中央公論。
「一人で老い、一人で死ぬ社会」というのが最新号の特集で、そこに「僕が結婚しない理由」というテーマで、ヒロシが持論を展開しているのだ。
中央公論は無料でネット公開されていないので、Yahoo!ニュースに転載されたものを読んだ。
人が増えるほど自分の意見が通らなくなる。だから一人でやってみた ヒロシ
無理矢理かもしれないですけど、キャンプだけではなくて、生き方も似ていると思うんですよ。皆で暮らしたら、他人と協調して人の意見を聞かなければならないし、特に僕みたいな性格の人はあまり主張しないから、本当は違うことをやりたいなと思っていても従うわけです。(中略)
ただ、一人で仕事をするのはなかなか難しいから、僕の場合はできるだけ最少人数というのを目標にしています。人が増えれば増えるほど、自分の意見が通らなくなりますから。
(Yahoo!ニュース 2021/10/18)
人より声が大きくて、「オレがオレが」で生きてきた人にはわからない話だろう。
自我を貫いて人生を謳歌してきた人の陰には、ヒロシのように従うばかりの人が山ほどいるのよ。
私もそのひとりだったかも。
そのまま一生を終える人もいる一方、ヒロシは「極力ひとりで生きる」という道を選択した。
その気持ち、痛いほどよくわかります。
一人で生きていくって言っているけど、結局、全くの一人は無理なんです。僕が言っているのは、できるだけ自分が決定権を持つことです。
だから、自分で会社を運営しているのも同じことですよね。大きな会社にいたら、「スケジュールが入ったから行ってください」って言われたら行かなきゃいけないでしょう。
つまり、自分がやりたいことをしたいんだと思います。キャンプで自由に薪に火をつける権利、ご飯を食べる権利、食べない権利、それが僕は欲しいんだと思う。
(同上)
私が7年前にセミリタイアしたのも、これが理由と言っていい。
そう、ほしいのは決定権なのよ。
他人に左右されずに、自分の人生を自分でコントロールできる力なのよ。
4年前の「定年後は誰も名前を呼んでくれない…っていいじゃん別に」という記事で、私はこんなことを書いた。
そもそも、人生は一度きり。しかもそれは、いつ急に終わってしまうかもしれない。(中略)自分の生き方は自分で決めたい。誰にも制限されずに、好きなことを好きなだけしたい。そう思って私はセミリタイアした。
私が朝から晩まで運転しているのは、すっかり中古のマニュアル車だ。(中略)ハンドルをしっかり握り、自在にギアチェンジして、アクセルとブレーキを巧みに踏んでいると、「自分で運転してる!」と実感できるのだ。行き先だってもちろん自分で決めるし、どこを通って行ってもOK! そうじゃないと満喫できないでしょ、人生って。私は人生を満喫したいのよ。
(Worlds end ~セミリタイアな日々~ 2017/7/19)
「中古のマニュアル車」というのはものの例えだけど、われながらうまいこと言うわ。
ま、ひとことで言えば決定権だし、自由と言い換えることもできる。
そういうのって会社生活では相当しばられるわけで、私はそれを我慢できなかったのね。
すみません、耐え性がなくて。
ヒロシのYahoo!記事に集まったコメントは、今日現在で驚きの1200件超え。
しかも、ヒロシの話を支持しているものばかりだ。
あれ? 日本ってそんな国だったっけ?
子どもの頃には友だち100人作って、大人になれば就職して結婚して子供を育てるのが当たり前。
それ以外の道を選ぶと、疑問や批判の矛先になるのがこの社会だと認識していたのに。
生涯未婚率が上昇し、多様性が重視されるようになって、私のような半端者にもやっと市民権が与えられるようになった、ということかしら。
こうなると私はあまのじゃくなので、「いやいや日陰の身でいいんですけど」と自虐に走りたくなっちゃう。
別に共感も賛同もいらないのよ、自分が満足していれば。
経済的な意味で健全な社会を作っているのは、働いている大人たちと、その背中を見て育つ子どもたちだし。
これ、ホントよ。
セミリタイアとかFIREなんか、後ろ指さされる覚悟でやるものなのよ。
中央公論 2021年11月号 [雑誌] | |
Amazonで詳しく見る |
↓↓↓↓↓ランキング参加中↓↓↓↓↓ | |
---|---|
にほんブログ村 |
人気ブログランキング |