最近、「心配事の9割は起こらない」という本を読んだ。

禅の教えを通して人生を楽に生きる法を説く、お寺の住職による自己啓発本だ。



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「私たちには『いま』をどう生きるかしかない」(P17)とか、「ひとつ捨てることは、執着からひとつ離れること」(P26)だとか、残しておくべき物の判定基準は「『思い』がキーワードになる」(P28)とか、いい話なんだけど、どっかで聞いたことがあるフレーズが多い本書。

しかしそれを、「一息に生きる」(P16)や「喜捨」(P26)などの禅ワードで解説されると、ありがたい気分になるから不思議だ。



セミリタイアして人間関係のわずらわしさや仕事の重圧から解放された私に、心配事なんてほとんど存在しない。

「お金が底をついたらどうしよう」とか、「病気になったらどうしよう」とか、現代人なら誰でも思うような悩みなら人並みにあるけど、そんなの考え出したらキリがないしね。

こういうとき、能天気な性格はラクだ。

セミリタイアに必要な覚悟とは」でも書いたが、ものすごい覚悟もなくセミリタイアし、そのままのほほんと暮らし続けているのが私なのだ。

「心配事の9割は起こらない」のではなく、「心配事の9割はなくなってしまった」のよね。



かと言って、読んでもまったく意味がなかったわけではない。

セミリタイア的に「その通り!」と膝を打った部分を、いくつか抜粋したい。


汝は一二時に使われ、老僧は一二時を使い得たり
中国唐末に生きた趙州従諗禅師のもので、おまえは時間に使われているが、私は時間を使いきっているぞ、という意味です。
(P62-63)

一日24時間すべてを自由にできるのが、今のセミリタイアな日々。

でも、有効に活用しているかというと、そうでもないのが実情だ。

せっかく自分でコントロールできる生活を手に入れたのだから、その時間をちゃんと使い切らないともったいない。

これは、私への戒めの言葉だわ。


七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず
(常識にこだわる、こだわらないということを超えて)思うがまま、自由に生きていて、人としての真理、生きるうえでの真理に、きちんとかなっている、という意味ですね。
(P70)

いくら自由を手に入れたからと言って、人の道に外れるようなことをするのは論外。

ただでさえ肩身の狭いセミリタイアは、常に感謝の気持ちを忘れないで、つつましく穏やかに生きていかなくちゃね。


前後裁断
その一瞬一瞬が絶対であり、前も後ろもつながっていない、ということです。(中略)生ききるとはその絶対の生をまっとうすること、ひたすら一生懸命に生きること。死は自分ではどうすることもできませんから、仏様にお任せしていればいい。
(P218)

最近は人生100年などとよく言われるけど、自分がその歳まで生きるかどうかなんてわからない。

もっと早くに死ぬかもしれないし、もっと長生きするかもしれない。

その両方に不安を感じて、今からあれこれ悩んだって、どうなるもんでもないわね。

いま、ここ」を大切にして生きるのは、私のセミリタイアの基本理念なので、この教えには心底納得だわ。



心配事のない私でもためになった本書。

心配事でつぶされそうになっている方なら、もっと役に立つかもしれません。

ぜひご一読を。


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