運命の分かれ道なんて、どこにひそんでいるかわからないもの。

あとで振り返って、「あの時がそうだったんだ」と気づく方が多いんじゃないだろうか。

そんなことを思わせる記事を読んだので、今日のテーマにしてみたい。



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2017042001


46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ
父親は霞が関のエリート官僚で、どちらかと言えば教育熱心な家庭で、身分証明を兼ねて持参してくれた中学と高校の卒業証書は、いずれも名の知れた進学校だった。しかし、「勉強は高校で燃え尽きた」と言い、大学は私大の夜間に進学。卒業前に就職先は決まっていたのだが、単位が足りずに留年が決まった。ちょうどバブル経済がはじけたころで、次年度の就職活動はあきらめ、卒業後はアルバイトや契約社員として働いた。
(東洋経済オンライン 2017/4/20)

46歳男性のカズマさん(仮名)は、私とそう変わらない年齢であり、取材時期によっては、もしかしたら同い年かもしれない。

彼の生き方や考え方については、記事を読んでもらうとして、私がひっかかったのは、上記の引用部分だ。



私は、自分で言うのもなんだが、それなりの成績をもって4年で大学を卒業し、そして就職した。

しかし当時は、先輩でも同期でも、留年する学生が結構いた。

中には、学生生活を少しでも長く謳歌したくて、わざとダブる人もいた。

いわゆる計画留年だ。

同じ部活の仲間の中にも、せっかく大手企業の内定を取ったにも関わらず、単位を落として留年したやつがいた。

その年に起きたのが、そう、バブル崩壊だ。

それまでの売り手市場が一気に冷え込んでしまい、そいつは翌年、1社も内定を取れぬまま、1年遅れで卒業した。

そして、上記記事のカズマさんと同様、アルバイトで生活するハメに。


今思えば、あれが運命の分かれ道となったわけだが、もしも未来が予測できたなら、あいつだって必死にがんばって卒業しようとしたはずだ。

しかし当時は、誰もそこまで深刻には考えていなかった。

留年なんて、珍しいものじゃなかったから。

私は極度の貧乏学生だったので、留年なんてありえない選択肢だったけど、今考えると「貧乏でよかった」と胸をなでおろしたくなる。


そんな私にも、これまでの人生の中で、岐路となった場面はいくつかある。

しかしそれだって、あとになってわかったことばかり。

その時、その瞬間に、先の人生を読み通すなんて、そうそうできません。

だからこそ、その時、その瞬間の最善を尽くすことが、大切なんじゃないだろうか。

人事を尽くせば、あとは天命を待つだけだ。



ちなみに、1年遅れで卒業した同期には、後日談がある。

卒業直後に数回会っただけで、そいつとはしばらく疎遠になっていたのだが、数年前に部活の仲間全員がそろう機会があった。

そいつとも十数年ぶりに再会したのだが、なんとそいつは社長になっていた!

ほかの仲間たちもびっくりしていた。

そいつは、卒業後アルバイト先を転々としたのち、地元のミニ企業で働き始めた。

そして、そこで仕事ぶりを認められ、アルバイトから正社員となり、さらには高齢の社長に認められて、会社を継ぐことになったというのだ。

加えて、そいつは結婚していたのだが、その相手というのが部活の後輩で、子供も二人いるという。

なんだよ、すげー幸せそうじゃねーか。

「どうしてるんだろう」と心配していたこっちの気持ち、まとめて返してくれよ。


私と違って、昔から世渡り上手なタイプだったので、どんな状況でも自分で運命を切り開いていけたんだろう。

そのバイタリティには、感服せざるを得ない。

運命の分かれ道なんて自分次第、ということも教えてくれた同期なのでした。


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