2013年に発売されて、今も売れ続けている大ベストセラー、「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」

前から読みたいと思っていたのだが、やっとそれが実現した。

これは、セミリタイアをした人や目指している人には、とてもしっくりくる一冊ではないだろうか。



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アドラーの思想を究めた哲人と、彼に猛反発する青年の会話のみで話は進むので、難しい言葉はほとんど出てこず、私も一気読みしてしまった。

突拍子もない考え方に対して、「それってどうなの?」と読者が思うだろう疑問も、青年がとことん代弁してくれて、読み終わるとすべての霧が晴れた状態になっているのだ。


しかし、フロイトやユングに並ぶ「心理学の三大巨頭」のひとりだっていうのに、今まで日本で広まらなかったのは、一体どうしてなんだろう?

それは、日本の社会に浸透している封建的・集団主義的な考え方とは、相容れないものが多いからかも。

マイノリティを意識して生きている私でさえ、ちょっととまどったぐらいだもの。



本書を一回読んだ程度で、わかったようなことを書くのは恐れ多い。

なので、今の私の立場から考えて、共感できるところだけ取り上げることにする。


すべての悩みは「人間関係」の悩みである


そもそも能天気な性格の私でも、それなりに悩んだことはある。

特に若いころは、今思えば些細な話に、ああでもないこうでもないと悶々としていたっけ。

そして、言われてみればそれらはすべて、確かに誰か相手がいる問題だった。

会社に入っても、相性の悪い上司や同僚は数えきれないほどいて、よく胃をキリキリさせていた。


それらをまとめて解決する方法は、「課題の分離」だと本書は説いている。

われわれはみな、対人関係に苦しんでいます。(中略)まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。
(150ページ)


事例として、「子供に『勉強しなさい』と命じるのは、他者の課題への介入」という話が出てくるが、親の立場なら納得できるものではないだろう。

本書を読めば、それは正しくない行為だということが理解できるのだが、なかなかハードルが高いわ。

でも、これを前提に考えると、「課題の分離」ができていないせいで揉めている話って、確かに多いのがわかる。

毎朝BSで「こころ」の再放送をやっているが、主人公こころのしつこいくらいのおせっかいぶりは、毎回観ていて腹が立つもんね。

あいつこそアドラーを学んで、他人の課題を分離した方がいいわ。


「縦の関係」より「横の関係」


よく「ほめて育てる」という教育法を耳にするが、それさえもアドラーは全否定する。

誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。(中略)アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。
(198ページ)


人間関係なんて、レベルの違いはあれど、ほとんどが「縦の関係」だ。

上下関係も競争関係もなく、優越感も劣等感も感じない相手なんて、そうそう存在するもんじゃない。

しかし、それも考え方ひとつだと言う。

硬直した「縦の関係」から完全に脱却して、どんな相手とでも「同じではないけれど対等」という「横の関係」を築く。

この考え方に基づいて行動した結果、自分に反発する相手は、重要な相手ではないので切り捨てればよい。

そうしなければ、ほんとうの自由を手に入れることはできないのだ。

そのために必要なのが、本書のタイトル「嫌われる勇気」というわけ。


なかなか過激で、実行性に乏しい思想に思えるよね。

でも、これを実践しているのが、セミリタイア生活なのかもしれない。

今の私の周りには、上にいる人間も下にいる人間も、全然存在しないもの。

もしも、「そんな生活やめて働け」なんて説教してくる人がいたら、それは私の課題への介入だから、「大きなお世話だ」とお返しする。

それでも相手が認識を変えないようなら、私の人生には必要のない人間なのだから、「嫌われる勇気」を発揮して縁を切る。

あーすっきり、というわけだ。


しかし、会社勤めしていたとしても、果たして同じようにできるかどうか。

よっぽどこちらのメンタルを強くしておかないと、「課題の分離」なんてできないし、同じ職場で切り捨てるってのもなかなか難しいよね。

でもそれができたら、人生は確かに楽になるだろう。

下手に悩み続けてうつになるより、ずっといいのは間違いない。


われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない


よく「過去から学ぶ」とか、「未来のために今を犠牲にする」というけど、アドラーはこの考え方も全否定する。

人生を登山のように考えている人は、自らの生を「線」としてとらえています。(中略)線としてとらえるのではなく、人生は点の連続だと考えてください。チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると、線だと思っていたものが連続する点であることがわかります。線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。
(264ページ)
もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。
(265ページ)

こう断言されると、なんだか悲しくなってしまって、反論してみたくもなる。


でも一方で、すごくよくわかるのよね。

明日も来週も来月も来年も訪れることを疑わず、10年後も20年後も生きていることを前提に、今日をすごしている人が大半だし、私だってそう願っている。

でもそれは確率論であり、個別に見れば、そんな保証はどこにもない。

まさに、あした死ぬかもよ?である。

やりたいことが山ほど残っているのに、それじゃあ困るから、私はセミリタイアしたのだ。

今、やりたいことをやっておかないで、死ぬときに後悔したくなかったから。

アドラーの「いま、ここ」という考え方は、私のセミリタイア生活の基本理念と言ってもいいくらいかも。



こんな稚拙なブログ記事で、本書の濃い内容を書き残すのは不可能。

借りて読んだ本だけど、手元に置いておいて、あちこち読み返したくなる一冊だ。

ブックオフにあったら買おうかな。

続編の「幸せになる勇気」も、早く読みたいな。


嫌われる勇気
嫌われる勇気岸見 一郎,古賀 史健

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