今ほどブラック企業が糾弾される時代はなかった、と言っても過言ではないのに、社員を苦しめ続ける会社は、まだまだたくさんあるようだ。
そんなニュースをキャリコネで見つけたので、今日はそれをネタに記事を書いてみたい。
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時間外労働が月100時間、または月80時間が2ヶ月以上というのが、厚生労働省の定める過労死ライン。
さて、自分の場合はどうだったんだろうか?
私の残業体験については、このブログでも何度か記事にしてきた。
ちょっと計算してみよう。
入社してすぐの時は、始業前1時間、終業後4時間、合わせて5時間の時間外労働だった。
土日はほぼ休んでいたので、休日出勤はゼロと考えると、【5時間×20日】で月100時間の時間外をしていたことになる。
次の職場は、朝が早かったので始業前は2時間だが、夜の半分は接待で、早く会社を出る日も多かったので、終業後は平均すると2時間ぐらい。
この時も土日はほぼ休みだったので、【4時間×20日】で月80時間(+プラス接待時間)となる。
次の職場では、また元に戻って、始業前1時間、終業後4時間で、計5時間。
これまた土日はちゃんと休んでいたので、【5時間×20日】で月100時間かな。
これでも、冒頭のニュースの中に含まれるくらい時間外労働をしていたわけだが、このあとの職場が大変だった。
会社人生の中で、一番仕事をした時期だ。
始業前2時間、終業後4時間に加えて、昼の休憩も取れなかったのでプラス1時間の、計7時間。
さらに、土曜日もフル出勤で15時間の休日勤務。
さすがに日曜日は休みたかったのだが、それでも必ず数時間は働いていた。
日曜日の休日勤務時間を3時間とすると、【7時間×20日+15時間×4日+3時間×4日】で、月の時間外労働はなんと…
212時間!
ひと月4週間(28日)で計算してこれだから、実際はもう少し多かったはず。
こりゃ、死んでもおかしくなかったね。
その後の職場では、また月80~100時間のあたりをうろうろしていた。
最後の職場は、始業前2時間、終業後2時間に加えて、土曜出勤も多かったので、【4時間×20日+8時間×4日】で、月112時間の時間外労働をこなしていた。
いやー、残業しまくりだったんだなー、私の会社人生。
人生で一番忙しく仕事をしていたのは、30代になったばかりの頃。
体力も気力も充実していた時期だけど、さすがにこんな無茶は続けられず、1年を過ぎたあたりで体調がおかしくなった。
あの時代の話は、「NHKスペシャル『キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体』を観た」でもチラッと書いたが、ストレスたまりまくりだったもんなあ。
人間ドックを受けて、会社にもSOSサインを発したところ、その職場は1年半で去ることができた。
あの時は、仕事を途中で放棄するようで、空しさと無念さを感じたけど、今考えるとよかったのかな。
生活時間の大半を仕事にとられていた会社員時代と比べて、残業ゼロどころか、時間内労働もゼロなのが、今のセミリタイア生活。
ちょっと極端すぎる気もするが、こうなりたいがために、がむしゃらに突っ走ってきたという思いもある。
「まだ40代なのに仕事もしないでいるなんて、とんだナマケモノめ!」という批判もあるだろうけど、私としては、「もう十分働いたわ」と思っているのよね。
まあまあの給料をもらっていたので、税金もかなりの額を納めてきたし。
勤労や納税などの日本人の義務は、それなりに果たしてきたので、あとは自由にすごしたいなあ。
この世界の片隅でひっそりと生きていきますので、大目に見てください。
今日の記事、こんな着地点にするつもりじゃなかったんだけど、まあいっか。
そんなニュースをキャリコネで見つけたので、今日はそれをネタに記事を書いてみたい。
20代の第二新卒・既卒の3割が「残業時間の過少申告をさせられた」と回答 最長で180時間の残業を経験した人も
「過去に経験したうち、最も多かった月間残業時間はどのぐらいですか?」という質問には、男性15.4%、女性8.3%が「100時間」と回答。「月間80時間」と回答した人は、男性では27.7%おり、男性の4人に1人は月80時間の残業の経験がある。ちなみに回答者が答えた最長の残業時間は男性で180時間、女性で150時間だった。
(キャリコネニュース 2017/1/27)
時間外労働が月100時間、または月80時間が2ヶ月以上というのが、厚生労働省の定める過労死ライン。
さて、自分の場合はどうだったんだろうか?
私の残業体験については、このブログでも何度か記事にしてきた。
- 残業代よりも自分の時間がほしい?(2015/6/6)
- 「週休何日ほしい?」と訊かれたら、答えは決まっている(2015/8/28)
- 残業しないで帰る先輩はカッコよかった(2016/11/30)
ちょっと計算してみよう。
入社してすぐの時は、始業前1時間、終業後4時間、合わせて5時間の時間外労働だった。
土日はほぼ休んでいたので、休日出勤はゼロと考えると、【5時間×20日】で月100時間の時間外をしていたことになる。
次の職場は、朝が早かったので始業前は2時間だが、夜の半分は接待で、早く会社を出る日も多かったので、終業後は平均すると2時間ぐらい。
この時も土日はほぼ休みだったので、【4時間×20日】で月80時間(+プラス接待時間)となる。
次の職場では、また元に戻って、始業前1時間、終業後4時間で、計5時間。
これまた土日はちゃんと休んでいたので、【5時間×20日】で月100時間かな。
これでも、冒頭のニュースの中に含まれるくらい時間外労働をしていたわけだが、このあとの職場が大変だった。
会社人生の中で、一番仕事をした時期だ。
始業前2時間、終業後4時間に加えて、昼の休憩も取れなかったのでプラス1時間の、計7時間。
さらに、土曜日もフル出勤で15時間の休日勤務。
さすがに日曜日は休みたかったのだが、それでも必ず数時間は働いていた。
日曜日の休日勤務時間を3時間とすると、【7時間×20日+15時間×4日+3時間×4日】で、月の時間外労働はなんと…
212時間!
ひと月4週間(28日)で計算してこれだから、実際はもう少し多かったはず。
こりゃ、死んでもおかしくなかったね。
その後の職場では、また月80~100時間のあたりをうろうろしていた。
最後の職場は、始業前2時間、終業後2時間に加えて、土曜出勤も多かったので、【4時間×20日+8時間×4日】で、月112時間の時間外労働をこなしていた。
いやー、残業しまくりだったんだなー、私の会社人生。
人生で一番忙しく仕事をしていたのは、30代になったばかりの頃。
体力も気力も充実していた時期だけど、さすがにこんな無茶は続けられず、1年を過ぎたあたりで体調がおかしくなった。
あの時代の話は、「NHKスペシャル『キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体』を観た」でもチラッと書いたが、ストレスたまりまくりだったもんなあ。
人間ドックを受けて、会社にもSOSサインを発したところ、その職場は1年半で去ることができた。
あの時は、仕事を途中で放棄するようで、空しさと無念さを感じたけど、今考えるとよかったのかな。
生活時間の大半を仕事にとられていた会社員時代と比べて、残業ゼロどころか、時間内労働もゼロなのが、今のセミリタイア生活。
ちょっと極端すぎる気もするが、こうなりたいがために、がむしゃらに突っ走ってきたという思いもある。
「まだ40代なのに仕事もしないでいるなんて、とんだナマケモノめ!」という批判もあるだろうけど、私としては、「もう十分働いたわ」と思っているのよね。
まあまあの給料をもらっていたので、税金もかなりの額を納めてきたし。
勤労や納税などの日本人の義務は、それなりに果たしてきたので、あとは自由にすごしたいなあ。
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すさまじい労働環境だったのですね。時間外+休日出勤で200時間オーバーなんて、ほとんど体力の限界でしょう。私も現職時代、繁忙期に1か月間1日も休めず全て出勤した経験があります。会社の労務担当にも拘わらず、自ら労基法違反してました。独身だったしまだ若かったから可能だったのしょう。その頃は入社3年目でしたが、入社4年目の連中より通算総労働時間が多かったと自負してました。バカでしたね。
まぁ、それが遠因の一つかもしれませんが、次第に長時間労働に耐えられない体質になってきて、遂に過労でダウン。上司との確執も重なってうつ病を発症し、定年より10年以上早く退職するハメになりました。もう二度と仕事は御免被りたいですね。最近の若者の長時間労働のニュースを聞くたびに、心が痛みます。