私がセミリタイアした大きな理由のひとつが、時間だ。
死ぬまでにやりたいことに対して、それに費やせる時間があまりに少ないことに危機感を抱いたので、セミリタイアに踏み切ったのだ。
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定年が60歳で、健康寿命が70歳だとしたら、老後の自由な時間は10年しかない。
今後は65歳定年制が主流になっていくだろうから、第二の人生は5年しかなかったかもしれない。
なのに自宅には、積ん読の本や映画のDVDが、山のようにあふれかえっていた。
これはどう考えても、大半を消化できずにあの世にいってしまう。
仕事ばっかりで、やりたいこともできずに終わってしまう私の人生って、一体何?
自分の人生で大切なものと、その他を天秤にかけたら、ベストな選択肢はセミリタイアだったというわけだ。
残された時間に対する危機感は、若い頃よりも今の方が、断然強い。
10代や20代の頃って、いつか死ぬってことは頭でわかってはいても、まったく実感がなかった。
でも、人生の折り返し地点を過ぎた今は違う。
毎日、確実に死へのカウントダウンを刻んでいると思うし、それが急に来たって不思議ではないのだ。
まさに、「あした死ぬかもよ?」である。
でも、明日だとちょっと短いので、あと20年生きられると仮定しよう。
今は残り20年だが、これが20年前なら残り40年だ。
残り40年の人生と、残り20年の人生を比べると、時間の重さがまったく違って感じられる。
同じ1時間をとっても、今の1時間は、20年前の1時間の倍の重みがあるような気がするのだ。
そう考えると、セミリタイアしてよかったと思う一方で、セミリタイアしたからといってボーっと過ごすのはもったいないと、強く感じる。
だからと言って、社会的に意味のあることをしようとか、後世に名を残すために努力しようという気はあまりない。
ただ、死ぬ前に「もっとやっておけばよかった」と後悔しないくらい、好きなことをしっかりとやっていくだけだ。
そんなことを考えるきっかけになったのは、中島公園で最近よく見かける中高年のポケモンGO族。
私は基本的にゲームをやらないので、スマホ画面ばかり見ている彼らを目にすると、「時間がもったいないなあ」と思ってしまう。
先行き短いんだから、若者と同じように暇つぶししてる場合じゃないのに、と。
もちろん、これは傲慢な考えだ。
ゲーム好きな人にとっては至福の時間なのだから、そんなこと言われる筋合いはない。
逆に、「読書や映画の何が楽しいの?」「それだって暇つぶしだろ」と言われたら、反論なんかできないしね。
この記事で言いたいのは、ゲーム批判ではない。
人生の中でゲームが大切な人は、とことんゲームをすればいい。
ポイントは、いつかは終わることが決まっていて、いつ終わるかもわからない自分の時間の使い方は、自分で決めるしかない、ということだ。
人生の責任は、自分以外誰もとってくれないのよ。
そう考えたら、お金の問題とか、社会とのつながりとか、周囲の視線とか、よく言われるセミリタイアのデメリットなんて、思うほどに重大な話ではない。
当然、「セミリタイアしたら暇を持て余す」なんて、私の辞書にはまったく載っていないしね。
まだまだ好きなことができるはず。
まだまだ有意義な時間を送れるはず。
今の私は、今日一日をどうやって大事に過ごすか、ってことばかりを考えて生きています。
死ぬまでにやりたいことに対して、それに費やせる時間があまりに少ないことに危機感を抱いたので、セミリタイアに踏み切ったのだ。
定年が60歳で、健康寿命が70歳だとしたら、老後の自由な時間は10年しかない。
今後は65歳定年制が主流になっていくだろうから、第二の人生は5年しかなかったかもしれない。
なのに自宅には、積ん読の本や映画のDVDが、山のようにあふれかえっていた。
これはどう考えても、大半を消化できずにあの世にいってしまう。
仕事ばっかりで、やりたいこともできずに終わってしまう私の人生って、一体何?
自分の人生で大切なものと、その他を天秤にかけたら、ベストな選択肢はセミリタイアだったというわけだ。
残された時間に対する危機感は、若い頃よりも今の方が、断然強い。
10代や20代の頃って、いつか死ぬってことは頭でわかってはいても、まったく実感がなかった。
でも、人生の折り返し地点を過ぎた今は違う。
毎日、確実に死へのカウントダウンを刻んでいると思うし、それが急に来たって不思議ではないのだ。
まさに、「あした死ぬかもよ?」である。
でも、明日だとちょっと短いので、あと20年生きられると仮定しよう。
今は残り20年だが、これが20年前なら残り40年だ。
残り40年の人生と、残り20年の人生を比べると、時間の重さがまったく違って感じられる。
同じ1時間をとっても、今の1時間は、20年前の1時間の倍の重みがあるような気がするのだ。
そう考えると、セミリタイアしてよかったと思う一方で、セミリタイアしたからといってボーっと過ごすのはもったいないと、強く感じる。
だからと言って、社会的に意味のあることをしようとか、後世に名を残すために努力しようという気はあまりない。
ただ、死ぬ前に「もっとやっておけばよかった」と後悔しないくらい、好きなことをしっかりとやっていくだけだ。
そんなことを考えるきっかけになったのは、中島公園で最近よく見かける中高年のポケモンGO族。
私は基本的にゲームをやらないので、スマホ画面ばかり見ている彼らを目にすると、「時間がもったいないなあ」と思ってしまう。
先行き短いんだから、若者と同じように暇つぶししてる場合じゃないのに、と。
もちろん、これは傲慢な考えだ。
ゲーム好きな人にとっては至福の時間なのだから、そんなこと言われる筋合いはない。
逆に、「読書や映画の何が楽しいの?」「それだって暇つぶしだろ」と言われたら、反論なんかできないしね。
この記事で言いたいのは、ゲーム批判ではない。
人生の中でゲームが大切な人は、とことんゲームをすればいい。
ポイントは、いつかは終わることが決まっていて、いつ終わるかもわからない自分の時間の使い方は、自分で決めるしかない、ということだ。
人生の責任は、自分以外誰もとってくれないのよ。
そう考えたら、お金の問題とか、社会とのつながりとか、周囲の視線とか、よく言われるセミリタイアのデメリットなんて、思うほどに重大な話ではない。
当然、「セミリタイアしたら暇を持て余す」なんて、私の辞書にはまったく載っていないしね。
まだまだ好きなことができるはず。
まだまだ有意義な時間を送れるはず。
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