東日本大震災が発生してから、今日で5年がたった。

その間に私は、一度転勤をして、そして会社を辞めて、札幌に引っ越した。

住むところが2回も変わると、ずいぶん前のことのように感じるが、5年という年月は長いようで短く、短いようで長い。

今日は、あの未曾有の大災害について振り返ってみたい。



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2011年3月11日、私の仕事場は山形だった。

その日の14時46分、私は社内研修の講師として、新人に仕事を教えていた。

揺れが徐々に強くなっていったので、新人らとともに机の下にもぐって危険に備えたが、やがて揺れは収まり、それ以上のことはなく済んだ。

その後スマホでNHKを見て、震源が太平洋側だったことがわかった。

そしてまもなく、黒々とした濁流が田畑を覆いつくしていく映像を目にして、とんでもないことが起きていることを理解した。


周辺の街は停電で電気も水も使えない状態が続いていたのだが、私の住んでいたところはライフラインも無事だった。

食料やガソリンは一気に不足したが、被災地の過酷さに比べれば、あれくらいなんでもなかった。


阪神淡路大震災の経験があったからか、会社の対応は迅速で、独自に援助物資を送ったり、社長が現地入りしたりしていた。

仕事場を失った人も多い中、雇用の継続と賃金の保障も打ち出して、こういう時全国企業の社員は恵まれていると感じた。



同じ職場に、家族を気仙沼に置いて、単身赴任中の同僚がいた。

幸いなことに家族は無事で、その人は週末になると車を飛ばして、実家に物資を運んでいた。

その人の車に乗せてもらって、その年の10月に私は被災地を訪れた。

震災から7ヶ月がたって、海沿いの瓦礫の山はかなり撤去されていた。

その中に、柱だけになった建物や、流されてきた大型船がポツンポツンと残されていた。

街なかに入ると、人気のなくなったお店が泥だらけのまま軒先を連ねていた。

まさにゴーストタウンだ。

たまに営業中のお店もあるのだが、ここでお店を開くことがどれだけ大変か、容易に想像できた。



あの地震で1万5000人以上が亡くなり、いまだ2500人以上の人が行方不明だという。

命が助かったとしても、大切な人を失い、住むところを失い、仕事を失った人がその何倍もいることだろう。

あれから5年がたった。

でもこれは5年前の話じゃなくて、今もずっと続いている悲劇なんだよね。


日々、何事もなく生活していると、ちょっとしたことに不満を感じたり、腹が立ったりするけれど、それって本当にくだらないことだ。

あの地震や津波に遭わなかっただけでも、十分に幸せだと思わなきゃ。

被災された方々は、今も大変だと思うけど、がんばってください。

一日も早く、元の生活に戻ることを祈っております。


東日本大震災 あなたはあの日をどう伝えますか ~宮城・石巻地方沿岸部3年間の記録~
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