もうすぐセミリタイアして1年が経つ。

「去年の今頃は、こんなことがあったなあ」的な懐古記事が出てくると思うが、今日はその第1弾。

去年の9月5日に起きた出来事をふりかえってみたい。

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私が上司に退職を申し出たのは、1週間後の9月12日。

でも本当は、去年の今日がその日のつもりでいたのだ。


去年の9月5日は金曜日で、10月転勤の発表日だった。

私は、この結果によっては、退職の申し出を延期するつもりでいた。

それは、「上司が動くかどうか」。


このブログにも、何度も出てくる当時のわが上司。

基本的にパワハラ男なのだが、社内規程にひっかかるようなヘマをしない程度の頭の良さは備えている。

だから、個人の人格を否定するような発言はしない。

ただ、厳しい表情と激しい言い方で、仕事の指導をするだけだ。

「こんなやつの下では、これ以上働いとれんわ」と、私も含めた職場の同僚ほとんどが思っていた。


私はまだその職場が短かったので、転勤は考えられなかったが、上司の場合は十分ありえる状況だった。

もし彼が転勤してしまって、次に来る上司がいい人だったら、あわてて辞めたことを後悔するかもしれない。

もし次の上司が、またもやアウトな人間だとわかったら、その時点で退職の申し出をすればいい。

だから、この時の転勤は、私の運命の分かれ道でもあった。


いよいよ9月5日。

誰が転勤するかが朝一番でわかるのは、その上司と、転勤する者だけ。

なので、私が転勤するわけでもないのに、その日の午前中はそわそわしまくりだった。

それでも、上司の転勤は一大ニュースなので、朝礼が終わってしばらく経つと、情報は耳に入ってくる。

結果は…ステイ。

これには、正直なところがくっとした。

これは、上司が動かなかったせいもあるが、いよいよ自分の進退が窮まってしまったことの方が大きい。

でも、これで覚悟は決まった。


午前中は、私がメインで進める部分もある会議が入っていた。

それが終わって、昼食をとって、午後の少し落ち着いた時間に討ち入りしようと考えていた。

会議だって、ひそかにドキドキして、半分以上は上の空だった。


そんな会議の最中、携帯にメールが届いたので、机の下でこっそり読んだ。

母からだった。

以前から入院していた父が、ほとんど意識不明の状態だという。


父の具合が悪いことは、前もって上司には報告してあったので、会議終了後にこのことを告げて、夕方の便で北海道に飛んだ。

もちろん、退職の申し出は棚上げして。

そこからの流れは、「退職を申し出るために必要なもの」に書いたとおりだ。


ヤバイかもと思われた父だが、その時は、会話ができるくらいに回復した。

その後、年明けに亡くなったので、あれが父との最後の会話になった。


父が倒れていなければ、この日に私は退職を申し出ていたはずだが、果たしてちゃんと言えていたかどうかは自信がない。

あの時、帰省したことで、踏ん切りがついた部分が大きかったから。

1年前の今日の出来事は、私のセミリタイアの中でも、重要な意味を持っているのだ。


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