オウム真理教による大規模テロ、「地下鉄サリン事件」から今日で20年が経った。

20年前の今日起きた出来事を振り返ってみたい。

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当時、私は東京の本社で広報課員として勤務していた。

まだインターネットが普及していない時代、広報課員の朝は、会社や業界に関連する新聞記事を確認することから始まる。

クリッピング業者も記事の切り抜きを届けてくれるのだが、漏れがあるので、この作業は欠かせなかった。

課員2人で手分けして、担当する新聞の朝刊に目を通し、記事をスクラップしていく。

業者が来るのは8時頃なので、その前には作業を済ませておきたい。

そのために、朝は5時半に起床、7時すぎには会社に着くよう出勤していた

そのおかげで、私は助かったようなものだ。


いつものように作業を終え、業者から記事の入った袋を受け取り、中身を確認していたのが8時すぎ。

その時、隣りの課の社員から噂が広まってきた。

「近くの地下鉄の駅で、爆弾が爆発したらしいぞ!」

え、爆弾?!

聞くと、負傷者がかなり出ているらしく、周囲は騒然としているらしい。

一体どうなっているのか見に行ってみたかったが、広報課の朝も戦場並みに忙しい。

そちらに気を取られながらも、自分の仕事をこなすのが最優先だった。


しばらくすると、最寄りの地下鉄駅を空撮した映像が、テレビで流れ始めた。

いつもの見慣れた出入り口の周囲が、救急車やパトカー、救急隊員や警官、そして担架とそこに倒れている人で埋めつくされていた。

その時点で爆弾という説は消え、有毒ガスによる事故が起きたらしいということがわかった。

その日は、定時出勤できない社員が多かった。


昼ごろになると、事故車両に乗っていて、倒れて病院に運ばれた社員の名前が、車内に広まってきた。

私の大学の先輩も巻き込まれたらしい。

私だって、広報課でなく別の部署に配属されていたら、直撃を受けていてもおかしくなかった。

助かった、と思うのは不謹慎かもしれないけど、その時は正直そう思った。


その日は、それ以上の情報はあまりなかったように記憶している。

残業して帰宅する際、その地下鉄駅は封鎖されているとのことだったので、2つ先の駅まで暗い夜道を歩いた。


あの時に被害に遭った先輩は、しばらくして職場復帰することができた。

だが、常に体調が悪いらしく、今でも後遺症に悩まされている。

私が被害に遭わなかったのは、たまたまなだけ。

間違いなく、私も連中のターゲットの中のひとりだったのだ。


あれから20年が経った。

関連する裁判は次々と判決が出ているが、被害に遭った人々や亡くなった方の遺族たちは、今でも苦しんでいる。

事件はまだ終わっていないのだ。

今は、リアルタイムで事件を知らない世代が増えている。

中には後継教団に入信する人もいるようだが、とんでもないことだ。

この、かつて類を見ない最悪の犯罪を、風化させてはいけないと思う。


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さかはら あつし,上祐 史浩

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