一昨日、大林宣彦監督がこの世を去った。
享年82歳。
ささやかながら今日の記事で、この愛すべき監督を追悼したい。
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4月11日に日付が変わった直後に流れたニュースは、深夜にもかかわらず日本中を駆けめぐった。
その後たくさんの記事がネット上にあふれ、監督の愛され方が尋常じゃなかったことを改めて思い知らされた。
かくいう私も、大林監督はリアルタイムで活躍を観てきた中で一番好きな監督だ。
最初の出会いは、ご多分に漏れず「時をかける少女」。
当時、名実ともに中二だった私は、併映の薬師丸ひろ子(「探偵物語」)が目当てだったのに、劇場を出るころには完全に知世ファンになっていた。
再度劇場に足を運んだ時は、「時かけ」「探偵」「時かけ」「探偵」「時かけ」と、朝から晩まで同じに席に座り続けて観た記憶がある。
その後数々の映画で楽しませてもらったが、作品全部を観たわけじゃないし、観た作品全部を評価しているわけでもない。
決して熱心なファンでもないのに「一番好き」と言い切ってしまう理由は、「時かけ」がマイベスト邦画だからだけではない。
やっぱり彼の人柄かな。
あんなにあったかい表情でやさしくお話する映画監督、他にいるかい?
そんな大林監督ご本人を、人生で一度だけ目撃したことがある。
「時かけ」は11年後の芳山和子を描いて終わるが、公開からリアル11年後の1994年に記念上映イベントが開催された。
当時私は、日々遅くまで残業が続く東京本社に勤務していたが、その日だけは仕事を6時に切り上げて渋谷の某劇場に向かった。
目当ては、上映前のトークショー。
ここに登場したのが、リアル11年後の芳山和子(原田知世)と大林監督だったのだ。
99%知世ちゃん見たさに行ったのは事実だが、大好きな大林監督の生トークを聞けたのは、私の一生の財産だ。
それから5年後の夏休み、大林フリークを自称する私は、新幹線に乗って広島に向かった。
福山に住む先輩を訪ねたのだが、目的はもちろん尾道ロケ地探訪。
尾道三部作ゆかりの地をめぐって、名作が撮影された場所をこの目で見たかったのだ。
当時の写真が残っているので、何枚か紹介したい。
「転校生」で一夫と一美が転げ落ちる御袖天満宮の階段。
実際、かなり急だった。
「時かけ」で名所となったタイル小路。
観光客がかけた大量の願い事タイルは、今は撤去されてしまったらしい。
「さびしんぼう」でさびしんぼうがヒロキの帰りを待つ西願寺の階段。
これで雨が降っていたら、名場面そのままだ。
いやー、懐かしいわ。
当時は若かったので、駅前で借りた貸自転車でロケ地をまわりまくった。
尾道は坂道ばかりで住みやすくはなさそうだけど、どこか日本人の郷愁を誘うものがありました。
私の映画人生に多大な影響を与えた監督を追悼して、昨日は「ひとり大林宣彦祭」を開催。
朝から晩までかけて観たのは、次の6本。
尾道三部作は当然再鑑賞で、どれも名作中の名作だった。
あとの3本は、今回初鑑賞。
監督らしい個性にあふれた味わい深い佳作ぞろいだった。
Wikipediaで監督のフィルモグラフィを見ると、まだ半分近く観ていない作品がある。
これでファンを名乗るのもおこがましいと、われながら思う。
でも、まだ楽しみがこんなに残ってると思えば、この寂しさも少しはまぎれるというものだ。
たくさんの「A MOVIE」をありがとうございました。
安らかにお眠りください。
享年82歳。
ささやかながら今日の記事で、この愛すべき監督を追悼したい。
大林宣彦監督、死去 肺がん余命宣告3カ月から3年8カ月 コロナ禍で最新作公開見届けられず…
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作などで知られる映画監督の大林宣彦さんが10日、肺がんのため死去した。82歳だった。2016年に末期がんと診断された後も最期まで映画製作に執念を燃やした。この日公開予定だった最新作の「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期となり、見届けることができなかった。
(zakzak 2020/4/11)
4月11日に日付が変わった直後に流れたニュースは、深夜にもかかわらず日本中を駆けめぐった。
その後たくさんの記事がネット上にあふれ、監督の愛され方が尋常じゃなかったことを改めて思い知らされた。
かくいう私も、大林監督はリアルタイムで活躍を観てきた中で一番好きな監督だ。
最初の出会いは、ご多分に漏れず「時をかける少女」。
当時、名実ともに中二だった私は、併映の薬師丸ひろ子(「探偵物語」)が目当てだったのに、劇場を出るころには完全に知世ファンになっていた。
再度劇場に足を運んだ時は、「時かけ」「探偵」「時かけ」「探偵」「時かけ」と、朝から晩まで同じに席に座り続けて観た記憶がある。
その後数々の映画で楽しませてもらったが、作品全部を観たわけじゃないし、観た作品全部を評価しているわけでもない。
決して熱心なファンでもないのに「一番好き」と言い切ってしまう理由は、「時かけ」がマイベスト邦画だからだけではない。
やっぱり彼の人柄かな。
あんなにあったかい表情でやさしくお話する映画監督、他にいるかい?
そんな大林監督ご本人を、人生で一度だけ目撃したことがある。
「時かけ」は11年後の芳山和子を描いて終わるが、公開からリアル11年後の1994年に記念上映イベントが開催された。
当時私は、日々遅くまで残業が続く東京本社に勤務していたが、その日だけは仕事を6時に切り上げて渋谷の某劇場に向かった。
目当ては、上映前のトークショー。
ここに登場したのが、リアル11年後の芳山和子(原田知世)と大林監督だったのだ。
99%知世ちゃん見たさに行ったのは事実だが、大好きな大林監督の生トークを聞けたのは、私の一生の財産だ。
それから5年後の夏休み、大林フリークを自称する私は、新幹線に乗って広島に向かった。
福山に住む先輩を訪ねたのだが、目的はもちろん尾道ロケ地探訪。
尾道三部作ゆかりの地をめぐって、名作が撮影された場所をこの目で見たかったのだ。
当時の写真が残っているので、何枚か紹介したい。
「転校生」で一夫と一美が転げ落ちる御袖天満宮の階段。
実際、かなり急だった。
「時かけ」で名所となったタイル小路。
観光客がかけた大量の願い事タイルは、今は撤去されてしまったらしい。
「さびしんぼう」でさびしんぼうがヒロキの帰りを待つ西願寺の階段。
これで雨が降っていたら、名場面そのままだ。
いやー、懐かしいわ。
当時は若かったので、駅前で借りた貸自転車でロケ地をまわりまくった。
尾道は坂道ばかりで住みやすくはなさそうだけど、どこか日本人の郷愁を誘うものがありました。
私の映画人生に多大な影響を与えた監督を追悼して、昨日は「ひとり大林宣彦祭」を開催。
朝から晩までかけて観たのは、次の6本。
- 転校生(1982)
- 時をかける少女(1983)
- さびしんぼう(1985)
- 金田一耕助の冒険(1979)
- 麗猫伝説(1983)※「火曜サスペンス劇場」
- 廃市(1983)
尾道三部作は当然再鑑賞で、どれも名作中の名作だった。
あとの3本は、今回初鑑賞。
監督らしい個性にあふれた味わい深い佳作ぞろいだった。
Wikipediaで監督のフィルモグラフィを見ると、まだ半分近く観ていない作品がある。
これでファンを名乗るのもおこがましいと、われながら思う。
でも、まだ楽しみがこんなに残ってると思えば、この寂しさも少しはまぎれるというものだ。
たくさんの「A MOVIE」をありがとうございました。
安らかにお眠りください。
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