小樽出身の加藤浩次が番組でぽろっとこぼした発言がニュースになっていた。

いわゆる北海道弁というやつなのだが、言われてはじめて気づく道産子も多いだろう。

今日はこれをテーマに取り上げてみたい。



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加藤浩次「りんごがぼけてる」が伝わらず…「みんな知らなかった?」
極楽とんぼの加藤浩次が31日、日本テレビ系「スッキリ」で、りんごの味を「ぼけてる」と言ったものの出演者が皆、ぽかんとしていたことに驚きの声を上げた。
(デイリーニュース 2019/1/31)

「ぼけてる」って普通に使うけど、これも北海道弁だったのね。

水卜アナによれば、標準語では「ボソボソ」「悪くなった」と表現するらしい。

でもね、やっぱり違うのよ、ニュアンスが。

意味を訊かれた加藤浩次も、「ボソボソしてる、味がぼやけてるというか」と答えていたようだが、完全に説明されているとは思えない。

「ぼけてる」は、食べごろを過ぎてしまい、水分が抜けて、本来のおいしい食感を味わうタイミングを逃してしまった残念なりんごや梨などに対して使う表現。

「いやー、もうちょっと早くに食べたらよかったわー」という口惜しさも若干含んでいるのだ。

同じ意味の言葉は他にないので、加藤浩次も何の気なしに使ったのだろう。

まさか内地の人に通じないとはね。



私も社会人になって初めて、日常的に道外の人と話すようになった。

「北海道は基本的に標準語」だと思い込んでいて、普通に使った言葉が通じなかったことがある。

最初の配属となった札幌で、同じ会社の大阪の女性と電話で話していたときのことだ。


:先日送った書類の件、どうなりましたか?

相手:あの件なんですが、せっかく送っていただいたんですけど特に書類は必要ないんですよね。

:そうなんですか。

相手:こちらでは使わないのでそちらに送り返しましょか?

:いや、こちらでも必要ないので、そちらで投げちゃってください。

相手:はあっ?!


それまで関西弁でなごやかに話していた女性の結構強めの返しに、入社ほやほやの私もびっくり。

「あれ?なんか失礼なこと言ったっけ?」とあたふたしていたら、


相手:ああ、捨てておきますね。


向こうの方が先に気づいて、親切にも訂正してくれた。

そこで初めて自分が北海道弁を口にしていたことに気づいたのだ。

そうだった。

内地では、ごみは「投げる」ものじゃなくて「捨てる」ものなんだ。


それ以来、会社の中では「捨てる」を使うようにしてきた。

でも、やっぱり違和感があるのよね。

「捨てる」という言葉には、それまで持っていたものを自分から切り離すというどこか冷たい雰囲気があるのだが、「投げる」はもっと軽いイメージなのだ。

文字通り、ポーンと投げる感じ。

子供のころから「ごみ投げ」という言葉に慣れ親しんできたので、今でも「ごみ捨て」には言いづらさを感じる。

死ぬまで札幌に住み続ける気でいるから、もう「ごみ投げ」で問題ないんだけどね。



どうしても標準語に置換できない北海道弁は、他にもたくさんある。

「うるかす」とか「いずい」とか「おだつ」とか「ちょす」とか「まかす」とか「あずましくない」とか「わや」とか。

どれも似た言葉はあるんだけど、ニュアンスまで含めると完全に同じ言葉はない。

だから使わざるを得ないのだ。


標準語に同じ意味の言葉はあっても、昔から慣れているし、味があるので言い換えたくない北海道弁も多い。

「かっちゃく」とか「ばくる」とか「こちょばす」とか「じょっぴんかる」とか。

意味を知りたい方はwikipediaでどうぞ。



子供のころの方がなまっていたと思うが、当時はそれほど自覚していなかった。

北海道は標準語だって聞いて育ったからね。

今でもつい出ちゃうけど、語尾は基本的に「~だべや」だった。

小学校高学年のころ、田舎の私のクラスにもっと田舎から転校生がやってきた。

彼の語尾はみんなと違って「~だべよ」だった。

それを聞いたときは、あまりの違和感にみんなでこうからかったものだ。

「お前さー、『だべよ~』ってなまらなまってっべや~!」

まさに目くそ鼻くそ。



以上、「標準語だと思っていたら意外とそうでもない北海道弁」でした。


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