ある記事を読んで、「社会的孤立」という言葉があることを知った。

語感から「ワシのこと?」と直感したので、今日はそれを取り上げてみたい。



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2018082601


死に至る場合も…「高齢者の社会的孤立」の深刻な現状
「社会的孤立」は(中略)一般に「家族やコミュニティとほとんど接触がないという客観的な状態」を指すことが多いとされています。端的に言うと、家族や友人、地域社会との関係が希薄で、他者との接触がほとんどない状態を指し、身体的に孤立している状態(一人暮らしをしている等)や主観的な孤立状態(寂しさ、孤独感)とは区別されることがポイントです。
(2018/8/25 サライ.jp)

この定義だけ見ると、思いっきり当てはまっているような気がする。

会社員として働いていた以前の自分と比べると、まさに社会的孤立状態だ。


この社会的孤立、体にはめっぽうよろしくないらしい。
  • 病気になりやすい
  • 尊厳や生きがいを失う
  • 寝たきりになりやすい
  • 介護負担が重くなる
  • 孤独死
とまあ、見事にお先真っ暗な老後が待ち構えている。

確かに、誰の目にも触れない生活をしている人のイメージってこんなもんだろうね。


こうならないために筆者が提案しているのは、社会参加の維持だ。

高齢者の社会参加・社会貢献は具体的に、就労ボランティア活動、自己啓発(趣味・学習・保健)活動、友人・隣人等との交流、デイサービス(通所介護サービス)利用、と幅広く存在します。
(同上)

無趣味だったり地域コミュニティが苦手だから社会的孤立になるのであって、現実的には就労ボランティアしか解決策はないだろう。



就労については最近こんな記事を読んだ。

月収44万68歳の悩み"暇で暇で死にそう" 何もしない家での生活の息苦しさ
大手電機メーカーの人事部長だった56歳のときに子会社の社長に転出。2社の社長を経て60歳で会社を定年退職した。(中略)月の収入は約44万円。生活するには決して少ない額ではないが、何もしない家での生活にしだいに息苦しさを感じ始めた。
たいした趣味もなく、暇で暇でしょうがない。いつまでこんなことをやっているんだと悩みながら悶々とした日々を9カ月ほど送りました
(PRESIDENT online 2018/8/23)

私が共感できる要素はゼロなんだけど、世のお父さんの大半はこの人に自分を重ね合わせるんだろう。

結局この人は暇で死ぬことはなく、未経験の介護業界に自分の居場所を見つけた。

今は「業種の違う複数の会社のアドバイザーや監査役を務め、ほぼ毎日働いている」とのこと。

まさに、リアル「終わった人」である。


こういう人に「一生向き合える趣味を見つけなさい」なんてアドバイスしたって無意味だ。

仕事を通じて生涯現役をまっとうしたいんだから。

社会的孤立になりたくなければ一生働き続けるのが一番である。



「仕事はイヤだけど社会的孤立もイヤ!」というわがままな向きは、ボランティアで社会に貢献すればよい。

行方不明の男児を発見した78歳のスーパーボランティアが話題になっているが、足腰元気ならあの生き方を見習うのも悪くないだろう。

かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」って、なかなかできることじゃないけどね。



さて私の場合は、人生を楽しむためにセミリタイアした。

読書とか映画とか、時間はかかる一方ひとりで行うものがほとんどなので、必然的に社会的孤立になってしまう。

でも冒頭の記事ほど深刻じゃないのは、これが自ら選んだ生き方だからだ。

SNEP(孤立無業者)という言葉に対抗して、SNEPREEL(人生を楽しむために孤立無業を選んだ者)という新語を作ったほど。(「ひきこもりの準備」を参照)

SNEPが浸透していないのでSNEPREELにいたっては私しか使っていないけど、これこそ社会的孤立に対するアンチテーゼである。


世の中にはいろんな人がいる。

仕事でしか自己実現できない人もいれば、無償の奉仕で生き様を語る人もいる。

どうやったら人生を楽しめるかがわかっているからこそ、自ら社会的孤立を選ぶ人もいるのだ。

孤独だからこそできることもいろいろあるのよ。

病気や寝たきりや孤独死を歓迎はしないし、そうならないよう努めているけど、それを避けるために今の生き方を変えようとも思わないな。

だって私はSNEPREELなのだから。


思えば、孤独は美しい。
思えば、孤独は美しい。糸井重里

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