介護殺人を裁く裁判員裁判も今日で3日目。

いよいよ判決だ。

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開廷は16時だったが、前回の判決の時に行列ができていたことを思い出し、早めに行くことにした。

15:15には傍聴人入口に着いたが、やっぱりもう並んでいた。

配布された整理券は、開場直前にソールドアウト。

ギリギリに来て、入れないことを告げられた人もいた。


中に入って、開廷を待つ。

前列に大きなカバンを持った人が座っていたのだが、これがいわゆる法廷画家だった。

カバンから画用紙を取り出し、開廷前からペンを走らせていた。


裁判は時間通りにスタート。

検察側は5年を求刑、弁護側は執行猶予を主張した本件。

結果は、懲役2年6ヶ月の実刑判決となった。

0と5の中間を取った形だが、刑務所に入る入らないの差は大きく、検察側の主張をかなり認めた判決に見える。


「介護疲れの果ての殺人」ということで、最初は「誰もこの人を責めることなんてできないよなあ」と、私も思っていた。

しかし、審理が進むにつれ、「これで実質的に罰のない執行猶予を与えたら、介護殺人を許可しちゃうようなもんだ」と、考えが変わってきた。


介護殺人で大幅に減刑されるには、もう殺す以外に選択肢がない、というところまで被告人が追い詰められていることが大前提だ。

認知症の被害者を介護する毎日は、いたたまれないほどにしんどくて、聴いていて胸を締めつけられた。

傍聴席で泣いちゃうおばさんもいたほどだ。


しかし今回の被告人は、あまりに無知すぎる。

無知ゆえに、公的介護保険のサービスも受けず、無知ゆえに、被害者を入院させようともしなかった。

無知ゆえの勝手な思い込みで、被害者の病状を悪化させ、そして殺してしまったとも言えるのだ。

「殺すしか選択肢がない」状態では、間違ってもなかった。

知らないことで罰を受けずに済むのなら、無知は犯罪者にとって最大の武器となってしまう。

そんなことがまかり通るはずがない。

この介護殺人事件は、「かわいそう」だけで終わる話では、決してないのだ。


被告人ひとりの責任ではないということを立証するために、弁護側は2人の息子さん(特に長男)をかなり厳しく尋問していた。

裁判素人の私でさえ、「これは作戦だな」とわかるくらい、あからさまに。

でもね、どんな理由があろうと、殺人はダメなのよ、殺人は。

逆に、アウェイ感漂う法廷で、堂々と正論を主張した検察側はえらかった。


判決理由の中で裁判長は、「次男らによる入院の調整が始まっていたのに、手に負えないと判断して殺したのは、唐突かつ短絡的で厳しく非難せざるをえない」と言っていた。

ただ、「前科前歴もなく、反省もしており、周囲のサポートも期待でき、高齢や病気を考慮して、さらに自主の成立も認めた結果、2年6ヶ月が相当」という結論にいたったようだ。

私も、3年の実刑を予想していたので、当たらずとも遠からずだった。

妥当な判決という気がする。

執行猶予を勝ち取れなかった弁護側は、果たして控訴するだろうか?


今回の裁判で、初めて弁護側と検察側の真っ向勝負を見させてもらった。

そして、認知症介護の壮絶な実態を知り、深く考えさせられた。

裁判員裁判の傍聴、しばらくやめられそうにないわ。


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