1995年の阪神淡路大震災から、今年で20年が経った。

さまざまなメディアで特集が組まれていたので、私も当時の出来事を振り返ってみたい。



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入社して4年目だった私は、東京の本社で広報課員として、日夜、新聞記者を相手に仕事をする一方、社内向けの広報も担当していた。

いわゆる社内報だ。

当時は、全国の職員向けに、冊子の形のものを毎月を作っていた。


広報課員として、日頃から社内のネットワークを構築しておくことは、とても重要だ。

社内報作りは、記事を書くために取材をする必要があるので、その点でも役に立っていた。

自然に社内外の人脈が広がり、ほとんどの社内業務について広い知識を持てるようになった。

常に社外の厳しい視線にさらされているため、内向きになりがちな社内常識に対しても、青くさいぐらいの正論をぶつけられるのが気持ちよかった。

ひとことで言うと、ものすごく仕事が面白かった時期だ。



そんな忙しくも楽しい時に、あれは起こった。

出勤前につけた早朝のテレビで、第一報を知った。

だがその時は、現地の情報がなにひとつ入ってこなくて、ただ異常な事態になっていることしかわからなかった。

出勤後も兵庫方面との連絡はつかず、気が気でない状況が続いた。


少しずつ被害の様子が判明していくにつれ、戦後最大の震災だったことが明らかになっていく。

会社としても、近隣の県から多数の応援物資を運び込んだ。

現地のスタッフは、崩れずに残った会社のビルに寝泊まりしながら、職員と顧客の安否確認に奔走した。



そうして3週間が経った頃、広報課員の私にひとつの業務命令が出た。

毎月発行している社内報の臨時増刊号を作るというのだ。

この震災の被害に遭いながらも、現場で頑張っている仲間の健闘を、全国の職員に伝えるのが目的だ。

まだ携帯電話もインターネットも十分に普及していない時代、その役割はとても大きかった。


そして私は、2月7日、飛行機で関空へ飛んだ。


→→→「阪神淡路大震災を振り返る(後編)」へ続く。


阪神淡路大震災ノート 語り継ぎたい。命の尊さ
阪神淡路大震災ノート 語り継ぎたい。命の尊さ住田 功一

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